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【週報】平成16年9月1日 第909回例会 第898号
会長:柿沼 常夫 副会長:中村 義英 幹事:原田 毅 会報委員長:小林 雅純

<2004−2005年度テーマ>
ロータリーを祝おう RI会長 グレン E・エステス・シニア
ロータリーは三気(元気,やる気,根気)をもって奉仕活動を 2580地区ガバナー 小堀 啓介
Brush Up ロータリー クラブ会長 柿沼 常夫

本日の卓話
 「イニシエーションスピーチ」

    潮田 幸一 君
      紹介者 小林 博 君

次回卓話予定
 「地区親睦ゴルフ大会役割分担について」


    松井 茂陽 君

【誕生日祝】お誕生日おめでとうございます
藤田喜太郎 1日 粕谷良三君 3日 小林 博君 9日 上野 雅宏君 13日
小林 雅純君 17日 長堀映司君 21日 原田 毅君 24日

前回の記録

【会長報告】<柿沼 会長>
・地区100周年記念委員会、2580地区意義ある業績選考委員会、RIロータリー100周年記念専門職務奉仕賞推薦委員会の3つの委員会より、記念事業の報告依頼が来ています。
・クラブ・エンブレム・ボタンが出来ました。おつけいただいてロータリーライフを楽しみましょう。
・地区大会 写真パネル展示(出展)の依頼が来ています。内容検討中です。
・9月13日分区ゴルフ予選会が近づいて来ました。各担当の会員それぞれ御苦労ですが準備よろしくお願いいたします。


【幹事報告】<原田 幹事>
・クラブエンブレムとボタンが出来てきましたので、本日お配りします。
・メキシコ留学生マリパスさんが本夕来日します。
・理事会報告が週報に載っていますので御覧下さい。
・沖縄地区大会への参加申込みの〆日が9月21日になっています。奮っての御参加をお願いします。

【委員会報告】
《青少年交換委員会》−古谷 委員長−
・メキシコからの交換留学生マリパスさんが今日成田に到着します。
・フランスからの交換留学生として当クラブが預かったキャロルがロンドンの三菱重工に就職し、9月4日から出張で日本に来ます。9月5日夜歓迎会を当ホテルにて行います。
《ロータリー情報委員会》−植木 委員長−
シカゴロータリークラブの創立
 シカゴに移ったポール・ハリスは、「私の少年時代は終った。旅行したり働いたりしたことは、大人になるための良い肥やしになった。」と言い、弁護士事務所を開設して仕事を始めた。
 しかし、大都会シカゴの生活は彼の心の中に何か満たされぬものを残した。見知らぬ人々の多い大都会での恐ろしい程の孤独感と疎外感にさいなまれ、幼少時代のニューイングランドの村人たちとの心温まる交友関係を、なつかしく想起するのだった。ポールはその著書の中で書いている。
 「私には大切なものが一つだけ欠けていました。それは友達でした。このシカゴには、自分のような経験をしている人たちが、たくさんいるに違いない。そのような人たちを集めてみたらどうか。もし彼らが私と同じように友達を求めているなら、そこから、何かが生まれる筈だ。」と考えた。
 「この大都会シカゴで、各種の職業から、政治や宗教の立場を離れて、お互いの意見を大らかに認め合えるような人を一人づつ選んで親睦団体を作ったら…」という構想が浮かんだ。「もしこんな団体ができれば、お互いに助け合える筈だ。」
 彼はこの衝動をすぐには実行に移さなかった。「大きな運動を起こす時には、信念をもった男が暫く一人で構想を練ることが必要だ。」と、彼は熟慮に熟慮を重ねた。何ヶ月も何年も考え続けた。そして遂に1905年の早春、長年心の奥に育んだクラブ結成の構想を実行に移したのである。
 1905年2月23日の夜、ポールは3人の友人に声をかけて集まった。4人は、ポール・ハリス(弁護士)、シルベスター・シール(石炭商)、ハイラム・ショーレー(洋服屋)、ガスターバス・ローア(鉱山技師)、場所はガスターバス・ローアの事務所であった。
 ボールは一業種一会員制の親睦クラブをつくる構想を熱っぽく説き、一同賛成し、下記を申し合わせた。
・一業種一名づつの会員制クラブとする
・会員は、人種、宗教、国籍、政治信条を問わない
・2週間に一度会合する
・会員相互の理解を深めるため、例会場は各会員の事務所持ち廻りとする
・会員を勧誘し次の会合に連れてくること
 第2回会合は、3月9日、ポール・ハリスの事務所で開かれ、新たに2名の会員が加わった。第3回の会合は、3月23日、シルベスター・シールの事務所で開かれ、更に3名の新会員が加わった。
 この会合でポールは役員の任命を提案し、当日の例会場の主であるシールを初代会長に推薦し、これを正式に決定した。そのほか、記録担当幹事、会計が夫々任命された。
 次にクラブ名の討議に入り、議論が沸騰するが、結局ロータリークラブという事になった。

【来訪者】
ゲスト 1 名    ビジター 4 名
【出席報告】
総数 53名, 出席 40名, 欠席 8名, 出席率 83.33%
(休会 1名、免除 4名)
第906回 修正 5名欠席 , 出席率 89.
58%
 
【ニコニコボックス】

■天笠、宮沢、遠藤、松崎、宮村、海内、山尾、大塚、柿沼、永井、藤田君
オリンピックのメダルラッシュを祝してニコニコいたします。勝者の顔も素晴らしいけれど敗者の顔もそれなりに美しかった。
■藤野、松崎、原田、山尾、上原、柿沼、海内、宮沢、永井、鈴木君
李君の卓話、楽しみにしています。浅草中央のヨン様、気張ってお願いします。
■長島君
暑い日本を避け、冬のオーストラリアへ35日間過ごしました。青い大きな空と海のもと自然を充分に満喫することが出来ました。
■藤野君
長島さんようこそ。元気そうでうれしく思います。

■斉藤君
お誕生日のお祝いをしていただき、ありがとうございました。
■天笠君
8月21日、妻の還暦の食事会をささやかにいたしました。ビューホテルの岡崎さん、心づかいありがとうございました。
■古谷、太田君
例会終了後、メキシコからの交換留学生マリパスを迎えに成田空港に行ってきます。
■尾泉君
横山さん、大変お世話になり、ありがとうございました。

【卓  話】
「私と日本、日本に来た私」
          マレーシア 米山留学生
                   李 志勇さん


 
 1997年に、マレーシアで行われたボーイスカウトのアジア太平洋ジャンボリー大会に参加し、 日本からの参加者と出会うことができて、そこで日本に対して好感を持ち始めたのです。 高校を卒業し、進学問題について家族や親戚と相談したうえ、日本へ留学しに行くことに決意しました。
 最初は日本語学校に通っており、当時ただ普通に大学に通うことができればいいと思っていたのですが、 マレーシアは英国制の教育システムで、中国系の学生が中学校に入る最初1年目の授業は文部科学省に認められておらずに、 12年もあるはずの自国学歴が11年になってしまいました。 ショックでしばらく落ち込みましたが、やむをえずもう一年の日本語教育を受けることになりました。 しかしその反面、当時私の憧れた大学を目指すのに時間があったので、まさに自分にくれたチャンスだなと思って、 自信を持って今通っている大学を受けることになりました。
 日本に来て最初のイメージは町がきれいで、東京はさすがに大都市だなと思いました。 が、いくらいいところに住んでいても、言葉のわからない東京で一人暮らしするのは心細かったです。 生まれてはじめて家族の元を離れて、家族の大切さがわかりました。 一人で悩んだりつらいと思ったりした時、いつも父がくれた「温室で育てられる木はなかなか大きく育てられない」 という言葉を思い出し、自分も大きく成長していくんだと励まされて元気になりました。  私は日本文化が好きです。初めて行った浅草の三社祭に感動しました。もともと日本に対するイメージは経済大国や 技術の先進さなどだけで、三社祭はひとつの例えとして、 社会の発展とともに日本人は自分の文化をしっかりと守ることがとても素敵だなと思いました。  日本で暮らして5年目に入る私が、いちばん大切に思うのは人と付き合うことです。 今までいろんな落ち込むこともあったのですが、仲間やまわりの人の支えがあって、 今日の私がいます。ですから、私はひとり一人とのフェローシップをとても大事にしています。  日本でたくさん学んだことがありますが、まだまだ沢山勉強に励むことが大切です。今年大学三年生の私は、来春から就職活動が始まります。人生の先輩の皆さんから一言アドバイスをいただけたらうれしいなと思います。 日本で学んだことを将来生かすことができるように、日本とマレーシア両国間、あるいは世界を股に掛けて仕事ができればいいなと思っています。