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【週報】平成16年12月22日 第924回例会 第911号
会長:柿沼 常夫 副会長:中村 義英 幹事:原田 毅 会報委員長:小林 雅純

<2004−2005年度テーマ>
ロータリーを祝おう RI会長 グレン E・エステス・シニア
ロータリーは三気(元気,やる気,根気)をもって奉仕活動を 2580地区ガバナー 小堀 啓介
Brush Up ロータリー クラブ会長 柿沼 常夫

本日の卓話
「音曲いろいろ」
         春風亭 美由紀 様

          紹介者 小林 博 君

次回卓話予定
「年頭挨拶」
            柿沼会長
            原田幹事
  

【年間100%出席表彰】
上原洋一君 19回 植木 榮君 15回 古谷輝彦君 11回
上野雅宏君 11回 伊石佳高君 1回    

前回の記録

【会長報告】<中村 副会長>
・会長欠席のため、代行を務めさせていただきます。会長からは特に伝達事項をうかがっておりません。私事ですが先週のクリスマス会113名の参加ということで、大変素晴らしい会だったということを聞きました。親睦委員会を中心とした企画者の皆様ありがとうございました。今日は卓話に「フレデリック・シェルドンを語る」という事で神崎正陳さんにお越しいただいております。楽しみにしております。

【幹事報告】<原田 幹事>
・本日例会終了後、第1回被選理事会が開催されます。
・2005年4月、R.I.会長主催祝賀会議等への再度のご案内がきています。登録の締切は12月24日となりました。

【被選理事会報告】
【出席者】理事(中村義英、長沼一雄、柿沼常夫, 長島資生、笹生貞介、吉沼真一、永井健一, 須藤 宰, 大塚 清、遠藤道雄)
     役員(幹事:片岡邦夫、 会計:長堀映司)
【審議議題】
◆1号議案:理事担当委員会について
 中村義英 :会長
 長沼一雄 :副会長兼クラブ奉仕委員長
 柿沼常夫 :ロ−タリ−情報副委員長(直前会長)
 笹生貞介 :職業奉仕委員長
 吉沼真一 :社会奉仕委員長
 遠藤道雄 :国際奉仕委員長
 長島資生 :(20周年記念事業実行委員長)
 須藤 宰 :青少年奉仕委員長
 大塚 清 :出席委員長
 以上 ・・・承認
◆2号議案:S.A.A(会場監督)の選考
 上野雅宏君, 役員として就任の案承認
◆3号議案:20周年記念事業について
 創立記念日:11月13日
 開催日、準備などを12月22日の準備会で検討する。
【その他】次年度事業方針について
 上記の件ついて, 中村次期会長より報告がなされた。

【委員会報告】
《プログラム委員会》−山尾 委員長−
・12月22日卓話の「今日の真打」シリーズで長島さんにお願いしておりましたが準備の関係上、2月2日に延期となりました。今年最終例会には春風亭美由紀さんに「音曲いろいろ」として色っぽく華やかな卓話を用意しました。お楽しみに。小林博さん、大変お世話になりました。

《地区青少年交換委員会》−太田 委員長−
・今年派遣されている、交換学生の報告書2名分回覧いたします。アメリカのミネソタとベルギーからです。どうぞお読みください。

《ロータリー情報委員会》−海内 委員−
・前回は松井君が大変難しいロータリー道徳律について朗読しましたが、今回朗読分からは国際ロータリー成立までの経過と、様々な出来事についての文章を朗読いたします。

シカゴRCの拡大から国際ロータリーへ

1.初期のシカゴRC
1.1 親睦の中心、五番目ロータリアン
 1905年に誕生したシカゴRCの最初の綱領は「会員の親睦」と「職業上の相互扶助」を目的とした。従って会員は専ら親睦と相互扶助(互恵取引)に熱中した。親睦の諸行事(週末のピクニック、魚釣り、野球の試合その他 ありとあらゆる親睦活動)の先頭に立ったのはポールハリスであったが、ポールを助けた親睦の中心人物は 5th Rotarian(五番目ロータリアン)というニックネームをもらったハリー・ラグルス(Harry Ruggles)という会員(印刷業)だった。 ポール・ハリスが3名の友人に呼びかけて親睦クラブの結成を決めたのは1905年2月23日であるが、その2週間後の3月9日の第二回会合に出席して入会を決めたのが、ハリー・ラグルスである。最初の4名に次ぐ入会者というので "五番目ロータリアン"と呼ばれたわけである。
 第三回の会合は3月23日で新たに3〜4名の入会があり、この会合で「シカゴRC」というクラブ名、役員を決定、初代会長にシルベスター・シールが推薦された。(従って、この日が正式の創立日であるという論者もいる) ポール・ハリスはその著書"This Rotarian Age"の中でシカゴRCの初期会員14〜15名を挙げて個々の人物の思い出をなつかしげに語っているが、その中五番目ロータリアン(ハリー・ラグルス)までを創立会員と注記している。
 1905年の秋のある日、未だ20名足らずの会員はシカゴのシャーマン・ハウスという所で、2週に一度の例会に集まっていた。色々の話し合いの後、話が途切れ沈黙が流れた。するとハリーが突然「さあ、みんな歌を唄おう」と、 彼は椅子の上に立ち上がり腕を振り、ポピュラーな歌を唄い出した。全員がこれに和し、すばらしいコーラスになったという。これがロータリーでの合唱の始まりで、合唱の慣習はシカゴRCの中で輝かしい伝統となっていったのである。 ハリーは、彼の好きな歌約30曲の歌曲集を印刷して全員に配り、例会のテーブルに置いて、これを持って帰らぬよう会員に呼びかけたが、持って帰る者も居り、ハリーは何度も増刷しなければならなかった。シカゴ市民がこの歌曲集を 欲しがり、シカゴ地域社会の民衆の合唱運動の始まりとなったという。ハリーの増刷は数万部に及んだと云われたが、ハリーは費用の事など一言もしなかった。
 RIが今日発表しているロータリーソング集には約100曲の歌曲が入っているそうだが、その中ロータリアンの作曲したものは40曲程度である由。要するにロータリーで唄う歌は皆が和気藹々になれるような歌なら、何でもよいということである。
 こうしてハリー・ラグルスはロータリーの歴史の中で、歌唱指導者として知られるに到った。合唱の慣習がロータリーの中で親睦の増進に果たした功績は大きいとポール・ハリスも云っている。
 ハリー・ラグルスは印刷屋であったから、シカゴRC初期の印刷はすべて彼が引き受けた。クラブの通信や、会合の記録なども印刷していたので、余白があると彼は会員の動静などについて短い記事を書いていたところ、
これが好評で会員たちの勧めにより定期的な刊行物を始め、それが今日の週報となった。
 始めシカゴRCではその週報を"Rotary Yell"と名づけていたが、後にジャイレーター"GYRATOR"と改名した。それは ROTARY という字を逆に YRATOR と書き、頭にGをつけて"GYRATOR"としたものである。(GYRATOR には「ぐるぐる廻る」という意味がある) シカゴRCの週報は今日でも GYRATOR という名だそうである。
 ハリー・ラグルスは又、新会員勧誘にかけては抜群の手腕を発揮した。シカゴRC結成当初、彼はクラブ会計であったが、間もなく会員増強の役を受け持つことになった。彼は「入会勧誘のパンフレットを作り1000人以上の人々に送って勧誘したところ 少なからぬ人々が喜んで入会してくれた。」と The Rotarian 誌に書いている。彼は1908年〜1909年度のクラブ会長になるのだが、その頃のシカゴRCの会員約200名の2/3はハリーの勧誘した会員であったと云われている。
 ハリー・ラグルスはシカゴRCの最初の綱領にある、「会員のビジネス振興と、クラブ内の親睦増進」とは、右の手と左の手があるように自然の事だという考えを、終生変わることなく抱き続けていたようである。そして、ポール・ハリスが1907年第3代会長に 就任後説き始めたロータリーの拡大には同意せず、ポールから離れて対立するようになるのである。

◆第922回例会出席報告(クリスマス会)
【来訪者】
【出席報告】
総数 53名, 出席 44名, 欠席 4名, 出席率 91.67%
(休会 1名、免除 4名)
第920回 修正 4名欠席 , 出席率 91.
67%
◆第923回例会出席報告
【来訪者】
ゲスト 1名    ビジター 0 名
【出席報告】
総数 53名, 出席 39名, 欠席 9名, 出席率 81.25%
(休会 1名、免除 4名)
第921回 修正 3名欠席 , 出席率 93.
75%
 
【ニコニコボックス】

■植木、山尾、遠藤、原田君
本日の卓話者、神崎正陳様をご紹介いたします。
■上野、植木、古谷、伊石君
年間100%出席の表彰をいただきまして、誠にありがとうございました。
■伊石君
先日結婚記念日のお花を頂きありがとうございました。家内も大変喜んでおりました。お互いに15年も良く我慢したものだと感心しております。これからも頑張ります。
■中村君
会長欠席のため代行させていただきます。クリスマス会を欠席しました事、申し訳ありませんでした。
■藤田君
クリスマス会には孫6人、私共夫婦で計8名大挙してお世話になりました。孫達も昨年の楽しいクリスマスを体験し今年を楽しみにしておりました。心より楽しませてもらいました。感謝、感謝です。
■親睦委員会一同
クリスマス会申込者113名全員のご参加感謝、感謝。無事終わりホッとしました。打ち上げのお酒おいしくいただきました。なお、当日のお土産チョコレートは長谷川さん、かりんとうは井田さんの提供です。当日発表しなかったため本日報告致します。
■参加者全員より
井田委員長始め、親睦活動委員会の皆様の努力により創立記念夜間例会、クリスマス家族会、100周年記念打ち上げが、盛大に行われました。家族共々楽しい一時を過ごす事が出来ました。来年も宜しくお願いします。

■宮村君
クリスマス会、ビューホテル賞が当たりました。実行委員が当たりすみません。抽選には不正はありませんでした。来年結婚記念日に使わせていただきます。鈴木さんありがとうございました。
■山尾君
井田さん、完敗です。大変楽しいクリスマス家族会でした。やれば出来るんじゃなぁーい。
■柘、吉田、永井、大塚、藤野君
クリスマス会で宮村君のお嬢さんの美声を聴いて大変よかったです。
■松井君
十割そばを初めて打ちました。やはりそば粉が良いと十割そばも打てる事を実感しました。美味かった……!
■天笠、永井、大塚、宮村、宮沢、伊石、松本(剛)、鈴木、太田、長堀、斉藤、藤野、吉沼、松崎、松井、海内、柘君
長谷川さん、毎年いただく美味しいチョコレート、早々にありがとうございました。
■宮沢、海内、大塚、松崎君
永井さん、写真有難うございました。
■古谷君
交換留学生のマリパス、ホストファミリーの永井家と一緒に伊豆旅行に行って来ました。
■上原君
業界の会合でビューの歌留田でお世話になりました。鈴木支配人おいしい冷酒の差し入れをありがとうございました。

【卓  話】
「シェルドンを語る」

            神崎 正陳 様


1 シェルドンは、1868年5月1日ミシガン州ヴァーノンに生まれたといわれています。奇しくも、ポール・ハリス、チェスレィ・ペリーと同じ年です。付け加えれば、20世紀最大の指揮者といわれるヴィルヘルム・フントヴェングラーもこの年に生まれています(なぜ突然フルトヴェングラーなのかと思われるでしょう。今年は彼の没後50周年に当たります。人間としてのスケールの大きさ、際立つ独創性、社会的影響の大きさ、その他多くの点で二人は共通するものを持つと私は思います。)。シェルドンには、フレンチ−インディアン戦争(1755-1763)に従軍したニューイングランドの先祖がいたともいわれていますが、家系どころか、両親の名前等についてさえ、ロータリーの資料では見つけることができません。
 ミシガン大学経営学部を卒業してから、 書籍のセールスをしたりして苦労を重ね、出版社を経営して成功した後、1902年にシェルドン式販売学専門学校(Sheldon School of Scientific Salesmanship−以下「シェルドン・スクール」といいます。)を創立し、盛期にはアメリカ各地だけではなく英国やニュージーランドなどにも塾生がいて、その数25万人におよんだということです。
 シェルドン・スクールの特徴は、単に販売のテクニックを教えるのではなく、シェルドンがミシガン大学で学んだ、「利己と利他との調和」を内容とする倫理性の高い理念と彼の実社会で得た経験に基づく実践哲学を総合して、「職業というものは、社会の最良の利益に奉仕しようという願望に他ならない。」(ジョン O. ナットソン「シェルドン・忘れ得ぬその名」 「友」 1999年1月号 p.13.)という職業哲学を創出し、これを塾生に教えた点にあります。
2 1908年1月、39才のシェルドンは、シカゴ・クラブに入会しました。彼はすぐ当時会長であったポール・ハリスと意気投合し、同じ頃入会したチェスレィ・ペリー(彼はシェルドン・スクールの塾生でした。)も交えて、頻繁にロータリー運動について語り合いました。 これが大きな原因となって、ロータリー運動はポール・ハリスの言うところのルネサンスを経ることになります。(ハロルド・トマス流に言えば蛹(さなぎ)が蝶に変身したということになります。)。そしてふたりは、ロータリー・クラブという特色のある組織に、シェルドン流の職業哲学を融合させることに成功するにいたるのです。
 ポールの信任を得たフレディは、1910年8月イリノイ州シカゴのコングレス・ホテルで開催された全米ロータリー・クラブ連合会の第1回全国大会に出席してスピーチをし、「同僚のために最も良く奉仕する者、最も多く報いられる」("He profits most who serves his fellows best.")というスローガンを発表しています。 彼はさらに翌年1911年8月オレゴン州ポートランドの商業クラブの会議場で開催された第2回全国大会で彼が発表した「私の宣言」の中で、「最も良く奉仕する者、最も多く報いられる」("He profits most who serves best.")と改めたスローガンを発表しました。 彼の「宣言」は、大会参加者に劇的な感動を呼び起こしました。特に上記のスローガンに感銘を受けた、ワシントン州シアトル・クラブのジェイムス E. ピンカム(この大会の決議委員会委員長)は、彼が起草した「ロータリー宣言」の結語として、このスローガンを搭載することを発議し、 満場の圧倒的賛同を得たのでした。このスローガンは、同じ大会でミネソタ州ミネアポリス・クラブの会長ベンジャミン・フランクリン・コリンズが提唱した「滅我の奉仕」("Service not self")と共に、その後ロータリーの標語(Motto)として扱われることになったのです。
3 ここで注意していただきたいことは、彼が大会に送った「宣言」は、単に He profits....... というスローガンの提唱が目的ではなく、「私は次のことを確信する…」という書き出しで始まる62項目からなる長文の所信表明文であり、そのあたかも結晶というべき スローガンが、ピンカムによって象徴的に選択されたということです。ですから、スローガンだけを単独で批評することは極めて軽率な所為だということを心得なければなりません。スローガンを正しく理解するためには、「宣言」全文(少なくてもその重要な部分) を読み込んでおくことが必要なのです。「宣言」については、田中毅PGの翻訳がありますから、別にご紹介いたします。
 「宣言」によって示されたシェルドンの考え方は、1915年カリフォルニア州サンフランシスコの大会で採択された「全分野の職業人を対象とするロータリー倫理訓」("The Rotary Code of Ethics for Business Men of All Lines"…以下「倫理訓」と言います。)や 翌年出版された、ガイ・ガンディカー編「ロータリー通解」("A Talking Knowledge of Rotary")等において、より発展した形で大きな足跡を残しているのです。シェルドン自身は、1921年スコットランドはエディンバラの大会に講師として招かれ、「ロータリーの哲学」("The Philosophy of Rotary")と題する講演をして、 彼の哲学の全貌を明らかにしました。そして、1923年ミズーリ州セントルイスの大会にテネシー州ナッシュビル・クラブの会員たちが提案し、採択された大会決議34号の第1項は、「ロータリーの哲学は『最も良く奉仕する者最も多く報いられる』という実践的、倫理的な原理に基礎を置く」と明記したのです。
 ちなみに、1923年という年は、大正12年つまり関東大震災の年です。ドイツでは、その前年にフルトヴェングラーがニキシュの後をついでベルリンフィルハーモニーの指揮者に就任していました。
4 1923年をもってロータリーの哲学は完成を見たといってよいでしょう。壮麗な哲学体系を構築した中心人物がシェルドンであったことは言うまでもありませんが、ロータリーは彼の功績に報いることにおいて余りにも冷淡であったといえるでしょう。
 シェルドンは、1930年ごろシカゴ・クラブを退会しています。しかし正確な年月日や退会理由は明らかにされていません。ロータリアンが眼にすることができたシェルドンに関する情報は、ザ・ロータリアン誌1936年2月号に「アーサー・フレデリック・シェルドン博士は最近テキサス州ミッションの自宅で亡くなった…」 と報じたわずか12行のベタ組記事だけでした。亡くなった日も墓所の所在も記載されていません。
 フルトヴェングラーはヒットラーが政権を取ってから苦難の道を歩まざるを得なかったという点でシェルドンと似た運命を歩みます。フルトヴェングラーの場合は第二次大戦後まで生きて名誉が回復されるのを自ら確認できましたが、その点ではシェルドンの方が不幸であったといえましょうか。
5 もっとも、シェルドンのモットーはその後も残り、第二次大戦後の1955年前期ジョン O. ナットソンがザ・ロータリアン誌にシェルドンについて寄稿したこともあり、同年のシカゴ大会で正式にロータリアンのモットーとなりました。したがって形の上では名誉回復がなされたように見えますが、 ふたつのモットーの比重はもっぱら超我の奉仕に傾き、RIは1989年シェルドンのモットーを第二モットーに格下げしました。そして、2001年6月の理事会は、第二モットーの使用を停止することを決議するにいたりました。この決議はその後撤回されましたが、2004年6月規定審議会は、He profits most who serves best. を He が男性の代名詞であることを理由に、They profit most who serve best. に変更する決議案を採択しました。理屈はともかく、ものモットーが多くのロータリアンから嫌われているという事実に変わりはありません。
 何故シェルドンのモットーが嫌われるのでしょうか。その理由は、このモットーを、利益を餌にして奉仕を慫慂していると曲解する人が多いことによります。前述したようにシェルドンの思想を正しく把握すればそのような短絡的な誤解は生じないはずなのです。 シェルドンには前述の「宣言」、「ロータリー哲学」以外にも著書もありスピーチの記録もあります。またジョン O. ナットソンの論文もあります。それらを是非お読みいただきたいと思います。私はシェルドンの哲学こそロータリーの哲学だと確信しています。ロータリー100周年に当たって、ロータリーの本義を再確認するということは、 シェルドンのモットーの真意を理解し、そのうえで奉仕の実践をすることに他なりません。浅草中央ロータリー・クラブの皆さんがシェルドンをより正しく理解し、今後のロータリー運動を正しい方向に発展させていただきたいというのが私の願いです。