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【週報】平成17年3月23日 第935回例会 第921号
会長:柿沼 常夫 副会長:中村 義英 幹事:原田 毅 会報委員長:小林 雅純

<2004−2005年度テーマ>
ロータリーを祝おう RI会長 グレン E・エステス・シニア
ロータリーは三気(元気,やる気,根気)をもって奉仕活動を 2580地区ガバナー 小堀 啓介
Brush Up ロータリー クラブ会長 柿沼 常夫

本日の卓話
「ロータリー・どこへ行くか」

       戸田 一誠 様
            紹介者 植木 榮 君

次回卓話予定
会員卓話
「私のかみさん・保護司活動27年」

      藤田喜太郎・志津 様

前回の記録

【会長報告】<柿沼 会長>
・次週3/16はIMが、豊島東RCのホストでホテルメトロポリタンにて2時から行なわれます。本年度は我がクラブより斉藤地区副理事を出しています。現在37名の登録されていますが一人でも多く参加していただき斉藤副幹事を応援したいと思います。日程を調節して是非参加していただきたいです。

【幹事報告】<原田 幹事>
・本日例会終了後、第9回理事役員会を開催します。
・次週3月16日の例会日はIMへの振替となります。池袋のメトロポリタンホテルで2時半の点鐘となります。

【理事会報告】
<報告事項>
1.2月度会計報告。…… 承認
2.旅行会について……7月千葉県鴨川実施・承認
3.新入会員歓迎会について……3月23日実施・承認
4.その他 マリパス関西修学旅行3月24〜30の件 承認
<審議事項>
1.100周年&創立20周年記念・会員増強キャンペーン(仮称)について……増強委員会が主体となって推進するが、理事会が全面的にバックアップする事を確認。

【委員会報告】
《親睦委員会》−井田 委員長−
・新入会員歓迎会(3月23日実施) お陰様で37名(ご婦人5名)申込いただきました。まだ申込まれてない方は申込をよろしくお願いします。
・旅行会<日程変更> 6月26日〜27日を予定しておりましたが、シカゴの後のため、4月24日〜25日か、7月3日〜4日にしたいと思います。挙手の結果、7月3日〜4日に決定いたします。

【マリパス現況報告】


【来訪者】
ゲスト 2 名     ビジター 4 名
【出席報告】
総数 51名, 出席 40名, 欠席 7名, 出席率 85.11%
(休会 1名、免除 3名)
第931回 修正 3名欠席 , 出席率 93.
62%

 
【ニコニコボックス】

■戸谷治正様(東京浅草R.C.)
今日は浅草ロータリークラブ新入会員の初メーキャップのお供でまいりました。平成14年7月17日浅草クラブ会長と共に幹事として貴クラブへ表敬訪問して以来のメーキャップとなりますが、そのときの会長のご子息が今日一緒にまいりました新入会員の松崎君です。今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。
■有井利行様
初めておじゃまします。私の下手な卓話を聞いて下さい。
■宮沢君
有井さん本日の卓話を楽しみにしております。遠い所ありがとうございます。業界では有名人で親しくしていただいて居ります。

■植木、永井、松崎、山尾、井田、伊関、大塚、天笠、藤田、岩戸、遠藤、長島、松本(剛)、鈴木君
有井さんの卓話を楽しみにしています。童心に返って、夢の多いお話を聞かせて下さい。
■植木君
松崎鉄矢さんようこそ。お父様の笑顔が浮かんできます。
■松崎君
結婚記念日のお花を戴き、忘れていてどっきりしました。ありがとうございました。
■柿沼、原田、天笠君
やっと暖かくなりましたのでニコニコします。暖かくなりますと市場も活気が出ます。
 

【卓  話】
 

   「私の人生とホビー業界」

     (株)有井製作所 取締役社長
     浦和南ロータリークラブ

               有井 利行 様



 私は、2770地区浦和南ロータリークラブの会員で、ロータリー歴は30年になります。
 本題に入る前に私を紹介して頂きました宮沢社長の事に一寸ふれておきたいと思います。私は、ホビーメーカーで宮沢社長は皆さんも御承知の通りホビーの流通総合問屋であります。 そんな訳で私が独立以来43年の取引を頂いている大先輩でもあります。商法としては、ほんとうに「実直」真面目で堅実な経営をなさっております。 たとえば、他社問屋様は、売筋商品はもちろん誰でも乗って来ますが、売れなくなると、手を引いてしまいますが、宮沢さんは何年かかっても販売研究を重ね絶対に供給を続ける。 それが証拠に鉄道模型に関しては日本一の問屋に成長されました宮沢社長、今の意気込で健康に留意して頑張って下さい。
 さて本題に入りますが、その前に私の自己紹介を申し上げます。子供は長女、次女、長男の3人の子供が居りそれぞれ独立して別世界を持って元気に頑張って居ります。 長男は家業を継承して居ります。私の父は職業軍人で特務機関に勤めて居りまして私の兄弟は男ばかり4人兄弟で全て満州の陸軍官舎で生れました。 メイドさんは3人もいてそれはそれは幸せな毎日でした。しかし、第二次世界大戦に突入し、そこから私の波乱の人生が始まる訳です。 昭和20年終戦の一寸前ですが、4月項春とは言え、未だ満州は凍てつく程の寒い日でした。父がどうも各地の戦場は日本が不利のようだ。 万一に備えて家族はひと足先に内地に帰れと云う事で家財道具を売払って引上げる準備に入りました。 さあ、大変です。母は父を残して4人の子供を引きつれて引上が始まる訳ですが、私が次男で5才でした。 上に兄7才、下の弟は3才と1才でした。未だ終戦にはなって居りませんので満鉄に乗って走り出しましたが途中で終戦となり、もう満鉄は使えません。 そこからは毎日毎日炎天下の中を行軍が続きました。夜は野宿が畜舎のわらの中で寝て夜が明けると軍港であるコロ島に向け歩き続けました。 道中は道の端に子供や年寄りが虫の息でゴロゴロ居りました。家族もどうする事もできません。食料は無く医者も居りません。毎日が涙涙の行軍でした。 いよいよコロ島に着き貨物の船底におし込まれ魚雷がくると5日でも10日でも停泊しなければなりません。 船中でも毎日死人が出て水葬という葬儀が行われて居りました。来る日も来る日も船中ではコーリャンのお粥とノリのつくだにばかりを食べて過ごして居りました。 栄養失調で死人が続出でした。8月28日いよいよ日本へ到着です。日本の島影が見えた時は総出でバンザイバンザイの歓声でした。 京都の舞鶴港で久しぶりに上陸すると、見るもの聞くものめずらしく感激しました。舞鶴から父の生れ故郷である山梨県へ向いました。 当時の列車は電化はなく全てSLでした。デッキから窓等々につかまって早く家路に着きたいと鈴なりの乗車を覚えて居ります。 私は当時5才でしたので普通なら記憶はないはずです。しかし両親からいろいろ聞かされて居りましたので見たように記憶して居ります。 小中学校は韮崎で過ごしました。経済的にも高校へは進学できず住込みで目黒区にある東京地図社に入社、夜学へかよい東京都立目黒商業高等学校を一応卒業しました。
 当時は日本経済も大変景気良く、神武景気、岩戸景気、日本列島改造、所得倍増等々と言う時代で就職は学歴時代に突入しました。 私は夜学しか出ていませんのでなんとしても独立を目ざして居り、当時花形であったプラスチック成型に職を置いて、ここから私の事業が始まる訳ですが、 と云ってもすぐに景気は良くなりません。不渡手形を何回も経験し、何回事業をやめようかと思った時もありました。 親にたよる事も出来ず自分の事は自分でやるしかない。満州から引上げて来た親の苦労を考えれば「努力」と「辛抱」と「我慢」と云う言葉が大好きです。 バブル時代はそれなりにスーバーカー時代、マクロス時代、ミニ四駆時代と苦労ばかりではなく良い事も多々ありました。 バブル崩壊して少子化が続きプラモデルにもかげりが見えて来たのが12年前でした。又、悩みが続きます。そこで考えついたのが鉄道模型でした。 私には何の財産もありませんでしたが30年育った日本全国のマーケット海外マーケットこれこそ私の無形財産である事に気付き、この財産を生かして第二の業務に突入しましたのが鉄道模型でした。 今度は子供産業ではなくマニアの趣味ですから子供をだますような訳にはいきません。スケールに忠実に作っていかなければ売れません。 その前にJRや大手私鉄の認可を取りローヤルティーも払わなければなりません。あれから12年ようやく実が実りホッとして居ります。 10年前は10億の売上げが現在25億に成長し、昨年は分社化をして4つのグループ会社を設立しました。  最後に申し上げたい事は、自分の事業は自分で守る。だれも助けてはくれません。人をたよらず自分で「努力」と「辛抱」と「我慢」です。 もうひとつは社員教育です。どんな立派な社長でもひとりはひとりの「力」です。すばらしい社員を育てる事によってその社長の「力」は何倍にもなり、繁栄していきます。 それこそロータリーで言う職業をしっかりやって社会に貢献する事こそ職業奉仕の任務だと思います。